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アップル・デ・アップ

私が翻訳している箇所もあり、長い間かかって一生懸命調べ上げたデータでもありますので、サイトやブログ、ウィキペディアなどへの丸写しはご遠慮ください。


名前 apl.de.ap(アップル・デ・アップ)
本名 Allan Pineda Lindo (アラン・ピネダ・リンドー)
出身 フィリピン、パンパンガ州サパンバト
誕生日 1974年11月28日
星座 いて座
身長 170.2cm
アップル公式サイト apldeap.com
JEEPNEY MUSIC 05年にアップルが立ち上げたフィリピン系アメリカン・アーティストを応援するレーベル。 フィリピン音楽の宣伝をしたいと話している。
ルーツ フィリピン系アフリカン・アメリカン
名前の由来 本名のAllan Pineda Lindoの頭文字から。
家族構成 父親はクラーク空軍基地に配属されていたアメリカ軍人の黒人。母親はフィリピン人。 アップルが生まれる前に両親は離婚。 4人の兄弟と2人の姉妹がいるが、弟のArnelは自殺により他界。 「the apl song」では弟の自殺についての歌詞も書かれている。 また、09年2月3日、腹違いの一番下の弟、ジョベン・ピネダ・ディアラ氏も21歳という若さで何者かによって銃殺されている。
母親 クリスティーナ。今はアメリカに住んでいる。
the apl song 家が貧しかったので、14歳の時にパール・バック基金を通してアメリカ人弁護士、ジョー・ハッジェンズの養子になり、
故郷フィリピンからアメリカへたった1人で移住する。 アップルが11歳の頃、無意識に目が動いてしまう 「眼振」という名前の病気を治すためアメリカに行く予定で、 この頃からアップルと母親は養子について 話し合っていたそうだ。 ジョー・ハッジェンズは、アップルの目の病気と、より良い教育を受けさせ、 選択肢の多い未来の手伝いをしたがっており、アップルの母親、クリスティーナは、 息子を養子として 手放すという、困難で感情的な決断を迫られていた。 しかし、母親は、息子にとってより良い人生を 与えられるチャンスになると思い、 養子に出す事を決意したと言う。アップルはアメリカに渡り、ハッジェンズと 一緒に住み、 ロサンジェルスにあるジョン・マーシャル・ハイスクールに通い、 その後2年間、シカゴにある キュリー・ハイスクールに通った。 ロサンジェルスにいた時、ハッジェンズのルームメイトの甥のウィルに 出会った。 ウィルに出会っていなかったら、ギャングになっていたかもしれないと話している。 Elephunkに収録されている曲"the apl song"は、アップルの自伝的歌詞になっている。
英語 母国語はタガログ語で、方言がパンパンガ語。 渡米した頃は英語が全く話せなかったが、一生懸命勉強をした。 タブー曰く、「アップルは俺より英単語を知っている。」
フィリピン 生まれ故郷のフィリピンで、アップルの事を知らない人いないほど、アップルはスーパースター。 BEPがフィリピンで ライブを行った時、フィリピンの大統領と軍隊が最前列で鑑賞するくらいの有名人。 フィリピンのリゾート開発や、チャリティーなど、かなり積極的に活動している。
好きなフィリピン人アーティスト Asinというフィリピンでは有名なフォークグループ。 「the apl song」でこのグループの「Balita」という曲を サンプリングに使っている。
影響を受けたアーティスト スティービー・ワンダー、イーグルス、ビートルズ。
好きな食べ物 バロット(アヒルの卵をゆでたフィリピンの珍味)と一緒にビールを飲むのが好き。 チキン・アドボも大好き。
チキン・アドボを作ってみよう!
視力 子供の頃から目が悪く、法律上では失明とされているため、車の運転ができない。普段はコンタクトレンズを使用。